まだお金は払ってないんだけどね。
納骨壇の契約をしました。
150万円。
納骨壇の購入のタイミングが今なんて、夢にも思っていなかったけど、
こういうタイミングって、自然にやってくるものなんだとしみじみ思いました。
きっかけになったのは、
1,夫の親のお墓が市外にあり、子どもも大きくなるにつれて、家族全員を連れてのお墓参りが困難になっていたため、今後の参り手の負担を軽くしたいと思っていたこと。
2,私の父が最近入院したのをきっかけに、母と納骨堂に見学に行ったこと。
特に2のきっかけは大きく、
何件が見学したら、お互いに気に入った場所が見つかり、
じゃ、いっそのこと隣に買う?
そしたら、麻生家(実家)と大賀家の子どもたち、お墓参りが一度に済んでいいよね?
という話になったのです。
母と一緒の納骨堂巡りはなかなか興味深いモノでした。
場所、景色、アクセス、見た目、管理費用、住職の考え方など…
まるで住まいを探すときのような感覚です。
そして、納骨壇にもランクがあり、
80万円、100万円、150万円
お値段によって、見た目、広さ、も設備、配置など…いろいろな選択肢がありました。
市内が一望できる高台にある納骨堂の中にある、150万円の納骨壇はとても美しく、
「ここに入れると思ったら死ぬのも怖くないかも」
なんて思ってしまうほど。
亡くなってしまった後のことなのに、
「景色がいいところがいい」とか
「参る人が気持ちが良い方がいい」とか
あれこれイメージも膨らみ、
金額も上がっていきました(笑)
私の当初の納骨檀の予算は100万円だったけど、結果150万円のところを購入することになりました。
母は時を同じくして、
小さな家族葬のために100万円の葬儀の見積もりも取りました。
そこの葬儀屋さんも、家族葬は30万円からできます。
家族葬なので、誰に見栄を張るわけではないのだけど、
父への想いが形となり、金額になって現れていきました。
そんなとき、金額云々ではなく、
自分が価値あると思ったところに、悩まずにお金をかけられるのは、
「生前の準備のなせる技」と、母を見て改めて思いました。
父は、
「自分が死んだ時のことを考えたくない」という人だったけど、
母も私のその逆で、
自分の最後の仕舞い方も 自分で決めておいて「すがすがしく生きたい」考え。
ただ、「どんな仕舞い方をするか?」は、具体的なイメージはしていなかったから、
実際に行動を起こして、目で見て、感じてみたことは、気持ちを固めるのに、良い機会となりました。
そうはいっても、私が100才まで生きたら、私がそこに入るのは、50年先のこと(の予定)
50年先、子どもたちがどこで何をしているのか?
日本はどうなっているのか?さえ分かりません。
だけど、そのときはそのとき。
その時代の人が考えればいい。
今、50才の私に納骨壇を購入するタイミングがきて、
準備ができていて、
納得のいく買い物ができたことが嬉しいと感じています。